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月明かりのシルエット ④

last update Last Updated: 2025-04-24 14:36:58
 人影は最後に周囲を見渡し、月光に照らされた道筋を慎重に辿りながら、神殿の方向へ消えていった。

 リノアは人影が残した足跡の周りに目を遣った。

 草木が黒ずみ、命を吸い取られたかのように萎れている。元々から元気がなかったとは言え、その萎れ方は異常だ。葉は乾ききり、茎は力を失って地面に倒れ込む……。

──一体、彼らは何をしていたのか。

 霧が漂い、夜の静けさの中、その足跡は冷たい月光の下で異様な存在感を放っていた。彼らが残した足跡が、何か取り返しのつかないことを物語っているように思える。

 リノアの胸の奥に渦巻くのは、不安などではない。燃え上がるような激しい憤りだった。

 その怒りは、命を弄ぶ者たちへの抗えない衝動と化し、リノアの思考を飲み込んでいく。

 龍の涙が手の中でわずかに熱を帯びる。それはリノアの感情と同調するかのように微かに震え、静かに存在を主張していた。

 リノアの鋭い視線が黒ずみ萎れた草木、そして月光に照らされた人影たちの足跡を捉えた。

 その足跡は冷たく、無機質な痕跡が無感情な存在を思わせる。

 生命が吸い取られた草木の姿と、その足跡が残す沈黙——それは、ただの痕跡でありながら、どこか不穏な気配を漂わせている。

 リノアはその場に立ち尽くしながら、その痕跡が語るものに胸をざわつかせた。

「……許せない」

 リノアの声が闇に溶け込むように響く。胸の奥からこみ上げる感情を、リノアは自らの胸の奥に強く押し込めた。

「リノア、動かないでね」

 エレナが抑えた声で言い、そして続けた。

「まだ、その辺りに潜んでいるかもしれないから」

 その目は人影が遠ざかった方向を見据えており、同時に周囲の気配も感じ取っている。

 人影の姿は既にない。神殿の方向へとゆっくりと遠ざかり、霧の中に姿を消した。足音さえも完全に途絶えている。

 しかしエレナは動かなかった。弓を構えた手に力が入り、矢筒の重みが肩に心地よい圧力を与えている。

 用心深いエレナは確実に安全だと判断するまで、決してその場を動かない。それは長年の経験から培われた、本能にも似た慎重さだ。

「……まだよ」

 エレナは小声で呟きながら、森の奥の微かな音や風の流れを感じ取ろうと全身を研ぎ澄ます。

 やがてエレナは弓を少しだけ下げ、深く息を吸い込んだ。

「……もう大丈夫。何か気配を感じたけど、どうもあれみたい」

 リノアは
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